『傷つかない場所から、傷ついた者に良いことばかり発言する行為についての省察』

〜東日本大震災、吉本隆明講演:『ヨブ記』をめぐって、映画『ツリー・オブ・ライフ』を通して思うこと〜 堀脇幸作

東日本大震災後、日本の状況を海外にいる僕はインターネットを通して情報を得た。Ustreamやニコニコ動画で日本の報道番組を見ることも出来た。ニューヨークタイムズ、デア・シュピーゲル、朝日新聞、読売新聞等の紙媒体にも触れられた。その際改めて感心したことは、情報が拡散し到達するスピード感(速報性)とそれを手元のラップトップからインターネットを通して簡単に得られるという行為を不思議な感覚とともに経験したことだった(非日常的な災害映像でもあったわけだが)。その災害を間接的にではあるが(かつ孤独な作業にも関わらず)、ソーシャルネットワーキングでは自らの検索範囲だけではなく知人の持つ情報まで共有しながら、連帯感というおまけまで味わうことになった。この時、初めて首相官邸、在日本アメリカ合衆国大使ジョン・ルースがツイッターを通じて災害情報を頻繁にエンドユーザーである我々に直接配信していることを知った。知ろうと思いさえすれば既存のマスメディアに頼ることなく、友人から政治家、大学教授、文化人、経済人に至るまで多方面・多様な意見に接することが出来る時代にいつの間にかなっていた。

震災から十ヶ月以上が過ぎ、ソーシャルネットワーキングでは以前のような頻度で震災の書き込みは見られなくなった(原発災害に関しては大分発信元が限られてきた)。新しい年を迎えた今も昨年の出来事で心のささくれとして未消化で残っていることがある。その心にかかる問いをほぐし意識し2012年も引き続き考えつかみ直してみたい。そのささくれはほのかな影ではあるが、しかし強い存在感を持って要求している。思索途中の案件ではあるがここに分割し書き出すことで、引き続き掘り下げたいと思うのだ。その対象は姿が見えず常に流動的だ。この事に思い当たった時点、僕の住むこのブルックリンという土地で思索の錨を一時的に降ろし、その定点でこの未だ実体のつかめない不安に対して、光を照射し陰影を捉えてやろうと攻めてみなければ、ますますその対象は姿を見せないまま暗闇で勢力を強め陰鬱なエネルギーを増幅し手に負えなくなるような気がする。ここまで書くとなんだか自分がこの対象に怒りのエネルギーを向けていることさえ気付かされる。それと同時に好奇心を含んだ未知なる冒険にも転換されていくのではないかとも感じられる。僕の身体は被災地に滞在することはなかったけれども、おそらく今回の震災、原発災害から意識下で負のダメージを受け止めているのだろう。それを少しでも解明することでささやかではあるが被災者の方々の心情に遠くからではあるが少しでも近づきたいと思う。

日本国外で生活する身の上のため日本人でありながらも被災地と一体となり具体的な作業を行うことの出来ない自分に対しての罪悪感、ジレンマ、そして怒り。海外に住んではいるが幾人かの知人はいとも身軽に被災地まで足を運んだ。残念ながら僕はおそらく多くの人々と同じように、被災地の外から被災した人々に連帯の意を表明していた者の一人だった。そして以前のように連帯感を共有出来るソーシャルネットワーキングの書き込みさえ少なくなり、ますますこの罪悪感、ジレンマ、怒りは肥大している。そんな息苦しく堅く絡まった気持を最近、芥川賞作家でもあり、震災をいち早く映画化し昨年六月に劇場公開された映画「無常素描」の中で発言されていた玄侑宗久先生の言葉によって少しだけほぐすことができた。

今、被災地以外の人々には、本当の意味での想像力が問われているのだと思う。被災者のために、と言いながらトンチンカンな催しが行なわれることも多い。贅沢な願いかもしれないが、『被災者のために何かしたい』という皆さんのありがたい気持ちを、できれば無駄に消費せず、静かに溜め込んでいただきたいのである。」

逸る気持と波風が立っていた心を鎮め、自分の役割が与えられ、来たるべき時の為に温めおく。何も見えない闇で彷徨い続けていた所に、今できることの選択肢を柔らかい光と共に目の前に提示されたように思えた言葉だった。何気ない姿をした言葉、しかし考え抜かれた思慮深い言葉の力は不思議にも心に深く響く。

吉本隆明講演:『ヨブ記』をめぐってについて。

震災直後、糸井重里氏の運営する「日刊ほぼ日新聞」のサイトを通して知った吉本隆明氏による阪神淡路大震災後に行われた「『ヨブ記』をめぐって」の講演。ヨブ記についての前知識を持ち合わせていなかったことも含め、答のないその物語に深く魅了された。敬虔なるヨブ、悪魔が神に仕掛け、ヨブの信仰心を試す苦難の物語。全ての財産を失い自らも皮膚病を病み苦痛を強いられるヨブ。因果応報が故、ヨブの受難がここに至ると親友から諭され懺悔を強いられるが、身に覚えのないヨブは冤罪を主張し理不尽な扱いに倫理的不満を抱く。それでも神への信仰を頑なに否定しない。親友との議論は神の正義が不当なものかどうかという、信仰心を否定しないぎりぎりの論点まで達し言葉も尽きてしまう。そこで登場する神はヨブの揺るぎない信仰心を認める。苦難を被りながらも悪魔の誘惑に陥ることなく、因果応報が究極ではないというヨブの立場を評価する。しかし同時に神はヨブに、人間に対する戒めともとれる逆説的な問いを発する。

「わたしが大地を据えたとき/お前はどこにいたのか。知っていたというなら/理解していることを言ってみよ。」(38:4)

「そのときお前は既に生まれていて/人生の日数も多いと言うのなら/これらのことを知っているはずだ。」(38:21)

「お前はわたしが定めたことを否定し/自分を無罪とするために/わたしを有罪とさえするのか。」(40:8)『新共同訳聖書』より引用

天災・人災に見舞われた被災者の心に生じる「何も悪いことをしていないのになぜ自分がこんな苦痛を強いられなければならないのか」という問い。因果応報に囚われ、信仰への不信が芽生え、そしてニヒリズムが蔓延し絶望に至る。ヨブ記を通してそれらの心の在り方にどう向き合うか、吉本隆明の講演は内村鑑三、キルケゴール、ヴェーユを用いそしてユーモアを交えて自らの論点へとたどり着く(内村鑑三、キルケゴール、ヴェーユの論点はここでは割愛する)。被災者それぞれがこのヨブ記に独自のエンディングを用いることを吉本隆明は促す。ヨブ記にはなぜヨブが易々と神との和解を得たのか事細かに記されていない。そしてヨブの被った苦難の倫理上の問題も解決していない。歴史的にもその解釈を多くの人々が導き出そうとしてきた。ヨブに代わり、各自各々が独自に、信仰を持つものは自らの神に照らし、信仰を持たないものは自らの経験則でもって、ヨブと神の和解の解釈を独自に導き出してみる。そこには正しい答も間違いも無い、高低・上下・左右もないそんな場所から自分の心に現れた疑問や意見に耳を澄ませ形を与える事から始めてみる。吉本隆明は「『独自の心の振る舞い方の輪郭』をこのヨブ記を通して見出すことは、この『ヨブ記を読むことの完成』ではないか」という。

この地上での個人的な経験、家族や小さな地域を通しての集団的経験で得られた智恵、記憶、感情、思念、苦悩、それら無形のものこそ、今問われているのではないか。都市や地方において核家族化に伴い、個人と個人の繋がりは分断化されてきた。平常時、国や自治体、企業という大きな組織レベルでの経験則で機能していた日常システムは、非常時には個人の生命に対して脆弱な機能だったと判明した。食事ひとつとっても、スーパーや店に並ぶ食材や食品を購入するという行為にまで簡略化され、食材の生産過程や手元に届くまでの流通過程を事細かく認識し理解・感謝することは、日常の意識からは不必要とされ見失われてしまった。そんな日常システムに依存していた我々は、非日常という原発問題を抱えてからは(食だけを取っても)食の安全という巨大な落とし穴を見つけてしまった。便利さにかこつけて何か重要なものを置き忘れてしまったのかもしれない。今、家族や地域という小さな組織での集団的営みで生まれた智恵や慣習がもう一度問い直されている。もう一度、個人という枠組みからこの土地で生きる、食べる、働く、子を育てる、地域の人々と支え合う、そして死ぬということはどういう心の持ち様なのかということを立ち止まってじっくり考える必要があるのかもしれない。それらをいつのまにか哲学や宗教等の学問領域に追いやり、近代化というのは社会的総労働が分業化され自分に直接関係の無い労働には、その恩恵を受け間接的には相互扶助機能しあっているにも関わらず関心を示さない時代にしてしまった。簡単に言うと日常の金銭の帳尻だけ合わせれば、後は口を開いて待つという受け身的な日常に知らぬ間に陥っていると言えるかもしれない。敬遠され高みにあると誤解されていた無関心の対象、その問いをもう一度日常の高さで考える機会を皮肉にも非日常は与えた。東北沖にある日本有数の海産物資源を放射能汚染という不安を抱きながら消費しなければならないという日常は現実になった。矛盾した響を与えるかもしれないが、これらの問いに関心を払う行為が究極的には自由に生きるという幸せの一つであると気付かされる。もちろんそう簡単に断定できないし、他の要素と複雑に絡んでいるのが日常だ。そして死生観とは同時に漠然とした問いでもあり、個々によって多様な側面を持つ課題にかわりはない。しかし不自由や限りを知って初めてそれまで手にしていた自由に気付かされたのだとしたら、311以前の自由を再確認するということは、無関心でいたことに改めて注意を払うこと、身近な小さな地域から相互扶助していた機能を正確に理解し感謝すること、それらを切実に実践しなければならないということだ。そしてそれを行わなければ過去に手にしていた自由さえ取り戻せないだろうし、新たな不自由を強いられることにさえ繋がりかねないと思える。

最後はテレンス・マリック監督最新作「ツリー・オブ・ライフ」について(日本2011年8月公開)。

ベドジフ・スメタナ作曲、交響詩第二曲「わが祖国(ヴルタヴァ/ドイツ語でモルダウ)」を、小学四年生の音楽の時間に初めて聞いた。教科書に紹介されていたこの交響詩を音楽教師は授業時間を丸々使い、説明なしに男子生徒にレコードを聴かせた。女子生徒は保健室へ移動し、後にその授業時間が性教育に当てられたのだと知った。男子生徒だけで聞くこの音楽の時間は、もちろんほとんどが自習と勘違いし騒がしい時間だったのだけれど、自宅に戻り一度も開いたことのなかったクラシック音楽全集の戸棚を開けることになった。そこにあった一枚の読売日本交響楽団演奏、近衛秀麿指揮の交響詩「わが祖国」、同じチェコ出身の作曲家アントニン・ドヴォルザークの第九交響曲「新世界より」をその日以来聞き続ける事になった。そこには何か小学生の心を揺るがすものがあったのかもしれない。当時めったに入らない応接間に置かれたソファーほどある大きなステレオで、窓の外に群生していた紫陽花を眺めながら、比較的大音量でレコードを聞くことを許された。近所迷惑を気にすることのない片田舎でもあったし、何はともあれ台所にまで漏れるその音楽を母親が愛していることを知った。音楽に合わせてもう少しその記憶を辿ると、母親がこの音楽を聴きながら台所で準備していた夕餉の匂いまでたどり着けるかもしれない。当時応接間でこの音楽を聴く度に、レコードジャケットにあったモノクロ写真に映されたヴルタヴァ河の静かにたゆたう流れ、そこにかかる十六連のアーチをもつカレル橋、その石橋の先にそびえ立つプラハ城に思いを馳せた。それは家の壁の外に存在する日本の片田舎の街並みが、東欧の風景に変わっていく不思議な感覚だった。板壁の家々がそこには存在せず、大陸にしか存在しないような大きな河がゆっくりと流れ、牧草の匂いを運ぶ風が吹いていた。そんな一過性の衝撃を背負っていたためか、中学に入ってからはスメタナ・ドヴォルザークのレコードは避けるようになった。その頃になるとベートーベンやブラームスを中心に聞くようになり、おそらくそれらの音楽が思春期の心情を色濃く映していたからなのかもしれない。ラジオやテレビでこの「わが祖国」を聞く度に、以前心に忍ばせていた東欧の風景をどうしても新鮮な思いで描くことが出来なかった。そこに広がる風景は古びた記憶で、音楽を通して再び訪れ五感を浸したい新鮮な体験には程遠かった。それが一変したのはこの映画「ツリー・オブ・ライフ」を昨年見てしまってからだ。実に三十年ぶりだろう。今ではスメタナの「売られた花嫁」「交響詩全六曲」、ドヴォルザークの「第九交響曲『新世界より』」「スラブ舞曲集」がヘビーローテーションになっている。子供の頃聞いた情景が懐かしく感じられているのかもしれない。

前置きが長くなってしまったが映画「ツリー・オブ・ライフ」にはこの「わが祖国」が流れる一シーンがある。その映像はいたってシンプルだ。米国南部の平均的な一軒家の芝生のある家、そこで遊ぶ幼い白人三兄弟、50年代のワンピースを上品に着こなしたジェシカ・チャステイン演じる母親が、この「わが祖国」を背景に戯れるだけのモンタージュがささやかに挿入されている。三兄弟幼児の頃のハロウィーン仮装、就寝時の絵本「ピーターラビット」の想い出、そして少年時代の野原でのボール遊びへと子供の成長過程をモンタージュで描き、同時に初めの四分弱の「わが祖国」をしっかりと聞かせている。この短い何気ない挿入シーンで三十数年ぶりにこの「わが祖国」を新鮮に感じてしまった。そしてその日以来繰り返し聞いている。このことが不思議に思え度々このことを考えている。

話は変わるが冒頭、この映画「ツリー・オブ・ライフ」にもヨブ記の引用がある。前述したヨブ記38章4節と7節を含むその引用はこうである。

「わたしが大地を据えたとき/お前はどこにいたのか。」(38:4)

「そのとき、夜明けの星はこぞって喜び歌い/神の子らは皆、喜びの声をあげた。」(38:7)『新共同訳聖書』より引用

 

70年代、テレンス・マリック監督が脚本を練っていた、人類創世についての映画企画「Q」と、マリック監督自身の家族構成と経験が元になっているこの映画の物語。そのプロットはいたってシンプルだ。しかし映像や音楽、モノローグが絡み合い同時に落差を作り、そこからにじみ出てくる空間は簡単に言葉で表現できない。明確な着地点を設けないまま作られた映画、僕の第一印象はそんな感じだった。主人公の家族らが未だ自己化できずにいる家族の死に対する感情、信仰への問いかけが、家族の思い出の断片と、宇宙創世と人類創世をイメージ化したインサート映像との間に丁寧に織り込まれている。ミクロ的な家族の記憶の映像と、マクロ的な宇宙の映像が作り出す落差や調和は、映画自体の緩やかなリズムやテンポに誘われ観客自身が独自の記憶をすくい上げられるように設計されている。映画の着地点はというと、観客自身の内面に用意されている。そこは生と死を超え生命同士が繋がり会うときに、どのような空間が生まれるのかという問い、が影を潜めているようにさえ思える。それらしき場所が描かれてはいるものの断定はされていない。映画の着地点を観客に委ね映像としてはっきりと表現できないならば、そこには何も存在しないと問われれば、個人的な憶測になってしまうがそこにはやはり大きく存在するものがある。この映画「ツリー・オブ・ライフ」を通して、視聴という個人的な経験から派生した僕自身の記憶やそこに生じた情感は何だったのか。「わが祖国」と親子のたわいのない戯れのモンタージュ映像とともに蘇生した記憶と情感は、僕の日々の生活の営みから生じたものではなく、この映画を見たために生じたものであると言える。だからこそ、やはりそこには何かが存在しているのだ。僕はこれを映画監督テレンス・マリックが抱える内面との繋がりだと考える。そしてその繋がりを可能にしているのは、人間の知性だけでもなく身体性だけでもなく霊性(魂)を加え結び合わせた何かしらが作用しているのだと思う(この「霊性」という言葉は鈴木大拙著作に数々出てくる禅における「霊性の自覚」から来ている)。このような希有な映画体験は、商業的にも才能的な理由においても昨今はあまり見られない。

もう一つ、それは「映画を見る眼」に糸口があるのではないかと感じる。それは小栗康平監督著作「映画を見る眼」のタイトル。小栗監督が2003年NHK教育テレビ「人間講座」で使用したテキストを書籍化し映像の読み書きの基本を解説した本。そこで映像リテラシーの基本の他に小栗監督の映画文体に対しての独自の考察が述べられている。昨今、商業映画はハリウッド的映画文体で満たされていると言っても過言ではない。それは観客をジェットコースターに乗せるかのように、観客の持つ映画への関わり合いをスリルライドだけに集約した映画文体のことだと僕は思っている(批判もあるとは思うが)。そこには観客の映画とのキャッチボールを可能にする空間や構造が時として見失われている。スリル感などの一過性の衝撃をその場限りで消費する営みを柱にしている。そこでは観客の映画への問いかけがほとんど挟まれることなく終了してしまう。大量消費を目的とした缶コーヒーを飲む際にコーヒーの味覚や味わいについて、缶コーヒーと消費者の間に記憶や情感という洞察を必要としないように、一時の清涼感と共に消費されることで完結している。

そんな大量消費型の営みは必要ないと断言しているわけではない。それだけに依存した映像視聴では何か重要なものを見失ってしまうのではないか、先ほど述べた口を開けて待つだけの受け身の日常に陥るのではないかと思うのだ。この映画からそんな「映画を見る眼」を意識することを正直予期していなかった。もちろんテレンス・マリック監督がハリウッド的映画文体を駆使するアメリカ人監督であると言うつもりはなく、彼独自の芸術性豊かな文体を持つ希有な映画作家と認識している。しかしながら近年の傾向として前作「ニュー・ワールド」、前々作「シン・レッド・ライン」は、どちらかというとプロットを映画の推進力として用いる映画を作っている。それら前二作と比較すれば、「ツリー・オブ・ライフ」は比べものにならないほど、映像はプロット自体に興味が無いと言わんばかりにそれぞれのシーンが独立し恣意的に振る舞っている。この映画文体に違和感を感じ、上げ膳据え膳的映画文体からの暴力的ともいえる切り離しを味わってしまった。それだけ衝撃が大きく昨今の商業映画という画一的なレッテルを知らぬ間にテレンス・マリック監督にまで与え、商業映画を悲観視していた自分を反省したのが正直なところだ。

映画が観客の記憶と結ばれるとき、その記憶に潜んでいた情感が解き放たれる。その時初めて映画は観客と結ばれる。自動的に観客の口へ運ばれる問いを必要としない映画文体も存在するけれど、そこに本当に映画と観客が結ばれたという感覚が存在するのだろうか。その結び目はどうやって確認されるのだろうか。それはやはり観客一人一人が映画に対して各自各々参加し、独自の記憶やその記憶に含まれた情感を導き出せたとき初めて結ばれ、わかり合えるという形の無いものなのだ。ヨブと神の文章化されていない和解も、そのようにして生まれてくるのかもしれない。そこに読者という第三者の参加、読者自身が持つ記憶と結び会い導かれた読者の情感を持って初めて和解という化学変化を起こし、神との繋がり、繋がりの実感、ヨブ記が伝えるヨブと神の和解が完成するのかもしれない。それら内面に生じる無形のものこそこれから深く洞察され価値が与えられなければならない。軽々しく「絆」という言葉だけが先行し、理解・実感のないまま消費・完結され忘却の彼方へ追いやってはならないのだ。

少し長くなるが小栗康平監督の911報道映像に対しての言葉を引用したい。

「そのような映像をわたしたちが四六時中抱えることになって、私たちの考える力や感受性がどのように深められたのでしょうか。世界を一方的に知らしめていることによって、むしろ私たちは、なんともいえない無力感にとらわれ始めています。

 あのテロの映像は、映像が出来事、起きたことを伝えていく限界、外からものを見ることの限界を、示してしまったものではなかったでしょうか。あのとき、やった側に立っても、やられた側に立っても、それを見ている自分も、世界は一元的なものとして映っていたのではなかったでしょうか。超高層ビルに大型の旅客機があろうことか現実に突っ込んでいくあの映像が、ひとつの世界の表裏しか写していないと思えることが、なによりも恐ろしいのかもしれません。

 中からものを見ること、内的な時間から組み立て直すことが、今またあらたに求められているように思います。世界の単一さを伝えるために、映像が発明されたのではありません。不思議に満ちた世界として、もう一度この近代をとらえなおそうと私たちが手にした道具、表現手段ではなかったでしょうか。

 映像は物事の外景をとらえるものです。だからこそ、映画はもっと多様な文体を模索していかなければならないのです。」(引用 小栗康平著『映画を見る眼』)

「神との繋がり」など大げさな言葉を使用してしまったため、なんだか座りの悪い文章になってしまった。短く言えば個人的な記憶を引き出しながらそこに眠っていた情感を洗い出し、あの時はそう感じていたのかという風に輪郭を与えることが、なかなか感じることの出来ない他人の感情、思いやりや繋がりへ、近づき寄り添う方法になりえるかもしれないと、ごく当たり前のことを言いたかった。偉そうな事を長々と書きましたが、僕は取るに足りないブルックリン在住の映像コーディネーターでしかありません。そして成人して二十数年、原発の問題に無関心に過ごしてきた日本人の一人です。上の世代に責任を転換することはいとも容易です。上の世代には上の世代の抗えないパラダイムがあったのかもしれません。同時に311以降、子供の世代に対してはただただ申し訳ないと感じて過ごしています。まずは子供の世代に僕(40代の世代)が二十数年間無関心でいたことに対して「ごめんなさい」と表明したい。「傷つかない場所から、傷ついた者に良いことばかり発言する行為についての省察」と題したこの文章ですが、繋がろうという決意さえあればどんなに離れていても共有に近づく道が開かれるという問いかけでもあり、今後とも向き合い続ける課題です。そしてささやかな生活をこれから続けるにしても、まずは謝罪の立ち位置を見つけない限り始まらないと気付きました。僕に出来ることには限りがあります。僕たちの子供の世代が安全に生活できる土地に今後もっと関心を持ち責任を果たしていきたい。そして被災地の方々の心情に思いを馳せ寄り添い考え続け行動したいと思います。

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